月を歩いている

月を歩いている

オタクがひたすら「好き」を叫ぶブログ

Flowers

日曜日ですね。

グッドワイフですね(ブログ書いてるうちに終わっちゃったよ)。

ちょっとリアタイというか録画視聴も追いつかなくなってきました。

深キョンのドラマはハマってます。ピンク×深キョンかわいい。

 

今日は昌暉くん出演舞台「悪魔と天使」の千秋楽を観に行ってきました。

ブログでしっかり感想書きたいところなんですが、今日はちょっと別の話をしますね。

舞台の感想は今日やっとツイッターでちょこちょこ上げているのでそちらをご覧ください。

 

ここからはとりとめのない文章になると思われるので、暇で暇で仕方ない人以外はもしかしたら読まないほうがいいかもしれません、ちゃんと自分の気持ちを文章にできる自信もありません。だけど今日フォロワーさんにお手紙をいただいて、それを読んで、ブログを書かなきゃって気持ちになったので、書いています。

 

日曜日。

ちょうど1週間前の夕方、わたしの最推しグループである嵐さんが、突然の休止発表をしました。

今日でやっと1週間なんだなあ。なんだか永遠に思えるくらい長かったです。果てしなく疲れた。

日本中が1週間や2週間全員休みにすればいい!って言ってるのに、そうはならないのが社会ですよね。わたしはというと日曜日泣きすぎて本当に体調悪くなって、月曜無理かもって思ったけど気合いで1週間乗り切りました。泣きすぎると人間、吐くんですね。頭も痛すぎて、死ぬのかと思った。もはやなんでそんなに涙が止まらないのかもよくわからなかった。

だって潤くんが死んだわけでも、芸能界からいなくなるわけでも、結婚したわけでもないのに、なんでこんなに果てしなく悲しい気持ちになるんだろう、って。

せめて休止だから良かったとか、解散だったらどうなってただろうとか、そういうことは今考えられないです。想像もつかない。無意味だしね。

 

この1週間過ごしてみて、今はもう自覚してるんですが。。なんでこんなに悲しいんだろう?ってなってたのは、自分自身がそんなになるまで嵐というグループに執着していた自覚がなかったからというのもあるんだと思います。

入り口も松本潤くんだったし、そこから入って、少しずつ他のメンバーも知っていくうちに好きになったけど、でもずっと私が追っていたのは潤くんだけだと思っていて。

だからファンでいる上で、こうなったらどうしよう?って想像して怖くなっていたのは「結婚」とか、潤くんが(芸能界からっていうのも含めて)いなくなったら、とかそういうことばかりで。

※追記:潤くんは昔から結婚もしたいし子供も欲しいと言っているのでいつかはあると思っています。最愛の人の幸せはもちろん自分の幸せでもあります。でもその時がきたら最低でも1ヶ月は閉じこもると思います。

 

勘の良い方は、ここ数年の嵐さんの様子をしっかりみていて、なんとなくそういう想像はしたことがあるという方もいると思います。

(もちろん、ファンとして応援したり見ている分には全く違和感を感じさせない仕事を5人がしてきた前提でです。)

でもあくまで私は、グループの解散とか、休止とか、そういうことを全く想像したことがなくて、その中での発表だったので、知った時は文字通り目の前が真っ暗になりました。

今考えれば、常に考えるべきことだったんだと思います。解散とか休止とか、とにかくグループがなくなるということを。常にそのことを恐れながら、最後かもしれないと思いながら、今思いっきり応援するべきだったんだと。

 

去年の春、私は大好きなmoumoonという音楽ユニットのライブに行きました。moumoonは2016年に半年以上、活動をお休みしていました。

それはグループとしての活動を休止するというのではなく、制作期間に入るので、毎月満月の日に行っているWeb配信のライブをお休みします、という発表でした。

戻ってきたときにアルバムを3つ出します!というお知らせをしてくれたり、そこからたくさん新曲を発表してくれたりと、お休みする以前にも増してたくさん活動してくれていて、去年行ったライブはその3つ目のアルバムをひっさげたツアーの最終日でした。

そこで、ボーカルのYUKAさんが、お休みの期間中どんなことをしていたのかということを、ゆっくりじっくり、初めて話してくれました。

制作期間に入る、と発表をした時、自分がどんな音楽をやりたいのか、どんな言葉を紡ぎたいのかわからなくなっていたこと。とにかく日々たくさん本を読みまくって、絵を描きまくっていたこと。だけどどんな本を読んでも自分がほしい答えは書いてなくて、苦しくなっていったこと。そうやって閉じこもれば閉じこもるほど、ふさぎ込んでしまって、どんどん闇に飲まれそうになっていったこと。だけど、ある日何かの本で見つけたのだったかな、答えにつながるきっかけを見つけて。人との繋がりを求めるようになって、その重要性がわかるようになって、歌いたい曲、紡ぎたい言葉が見つかって、そうやって新しいアルバムが生まれたこと。

その話を聞きながら、わたしは涙が止まりませんでした。

復活を待っているあいだ、YUKAさんがそんな暗闇の中にいたなんて、そんな危機的状況にあったということを、その時初めて知りました。そこからもし光を見つけられなくなって、音楽をやめようとなっていたら、moumoonはなくなってしまっていたかもしれないということを。

それでもYUKAさんが自分の中に答えを見つけて、またふたりでステージに立っていることが奇跡なんだと思ったし、本当に良かったと思うと同時に、これからはもっと新曲が出ることに感謝して、悔いのないように応援したいと思いました。

 

だけどそこでちゃんと気づくべきだった。どんなものであろうと、ファンである限り、「終わり」というものを常に意識していないといけないんだってことに。

なんでそんなに自信があったのかわからないけど、嵐というグループが終わるなんて考えたこともなかった。

会見で、潤くんが「一番いいところで、グループを閉めることも考えたことはあった」と言っていて、わたしは衝撃でした。それはもちろん、大野さん一人が責められることを避けるために言ったというのもあるんでしょうけど、この前ブログにも書いていたくらいなので本当のことなんだと思います。うまく言えないけど、わたしは潤くんを見ていたようで見れていなかったんだなあって思いました。

最近のいろいろなことを考えれば、潤くんがそう考えたことがあるというのは辻褄が合う。結成時からきっと一番冷静に、嵐のことを見てきた潤くんだから。

 

今日手紙をくれた方と同じように、わたしにとって潤くんは帰っていける場所になっていました。熱狂的にハマって、わたしのすべてになって、尊敬したり悟りを開いたりという過程を経て、いつの間にか帰る場所、ホームみたいな存在になっていました。

いろいろ他に好きなものができても、それだけは揺るぎないもので、常に真ん中にあるもので、失うことはないものだと思っていました。

今回わかったことは、わたしの拠り所になっていたのは「松本潤」単体ではなく、「嵐の松本潤」だったということ。考えてみれば当たり前のことでした。だって芸能界の潤くんは、松本潤として生きているわけではなく、あくまで嵐のメンバーである松本潤として生きてきた人だったから。もちろん個人仕事も受けたものは全力でやる、だけど潤くんにとっての一番は嵐のコンサートや嵐としての活動で、個人仕事が優先されることはありませんでした。そもそも1年中コンサートの演出のことを考えているので個人仕事を増やす余裕なんてなかったのだと思う。そんな潤くんにとってすべてである嵐というグループが「一旦」であったとしても「終わり」を迎えたときに、潤くんはどうなるんだろう。会見では「新しいことにもチャレンジできれば」って言ってたけど、でも本当の気持ちはどうなんだろう。それだけがわからなくて、どうしても怖いです。それを考えるとどうしても涙が出てしまう。

 

わたしにとって松本潤くんという人間は、芸能人でありながらもどこまでも信頼できるただ一人の人で、だけど万が一それが崩れたときが、わたしの潤くんファンとしての終わりなんだろうなと思っていました。

でも皮肉なことに今回の会見を見て、30日にアップされたEnjoy(潤くんのブログ)を読んで、「どこまでも信頼できる」が確信に変わりました。

嵐というグループへの信頼も。

だってねえ…会見、すごかったもの。翌日に各紙に掲載された写真は休止会見と思えない笑顔ばっかりで、あまりにいつも通りの嵐。

一人抜けるくらいなら、全員で終わりを選ぶ。いや、意地でも終わらせない。

その「意地」が、話し合いの続いた1年だったのだと思います。

普段飄々としているニノが、ああいう場で見せる「絶対に5人を守る」「終わらせない」みたいな強さとか、「一度」お別れして、みたいな相葉くんの素直な言葉選びとか、そういう人がいる限り嵐は終わることはないのだと思う。「総意」でない限り、5人の結論にはならない人たちだから。

意地でも5人で納得できる結論に着地する。グループとして満点の会見だったからこそ、思いはやり場がなくなってしまうよね。

誰も嵐さんを責められないどころか、「えっもうなんかすごいこの人たち…」みたいな会見だったんだもん。受け止めるしかない。受け入れはできないけど。っていう混乱。

 

まだまだ混乱したままですが、月曜のZEROで翔くんが「復活あります」って断言してくれていなかったら、ほんとどうなってたんだろうと思うくらいあの言葉に救われました。復活があるかと質問をしてくれた有働さん、きっぱりと答えてくれた翔くんありがとう。

 

フォロワーさんの中には「つらい」って言っていいんだよ!って言ってくれる方もいて、ありがとうございます。。お言葉に甘えて吐き出します。

2年とかあっという間だよね。2018年秒だったじゃん…

泣き虫(相葉&松本コンビ)ちゃんの絡みも見れなくなるってこと?無理無理〜〜っ、死ぬ。え、死ぬ。普通に死ぬ。無理。二人が並んでるの見れなくなったらマジで死ぬ。マジ無理。毎週しやがれのオープニングで二人が寄り添ってポーズ取るのあれ、毎週の癒しだから。それ見るだけで脳内ドーパミンドバドバ出ちゃうくらいわたしの人生を豊かにしてくれるから。録画は消してもそこだけは編集して全部繋げたいくらい好きだから。えっじゃあ、毎年クリスマスごろにやるMステスーパーライブで相葉さんの誕生日をお祝いするおきまりの松本潤くんも見れなくなるってこと?えっ無理、じゃあ潤くんはどこで公共の電波に相葉くんへのおめでとうを乗せればいいの?無理じゃない?え〜〜かわいそう。。ライブでも潤くんは毎年相葉くんのお誕生日お祝いしてるの楽しみにしてるはずなんだけどそれもできないじゃん?つら…。つらい。え〜〜〜ん。

潤くんが演出する嵐のコンサート、が終わってしまうという信じがたい事実。当たり前のように思ってたよ。全然当たり前じゃないのに。

あの日本一のエンターテインメントが完成するのに、どれだけの労力と、時間と、膨大なインプットとアウトプットを必要とするかわかっていながらも、当たり前だと思っていた自分を殴りたい。毎年コンサート直前のブログが「やばいやばい(^^;;」ってなって、「短くてスミマセン」ってなってるのを見ながらも、当たり前だと思っていた自分を殴りたい。ポジティブに考えれば、いつも「休んで〜〜〜」って思ってた自担が休めるということなのだから、望んでたことじゃん!って感じなんだけど。どこまでもエゴですね、人間って。

でも、毎年毎年進化を遂げるコンサートを当たり前だと思わせるような、すごいグループなんですよね。ほんとに誇りに思う。

チケットが取れなくてもうファンでいることすら辛くなったりもしたけど、でもそのコンサートすらなくなっちゃうってことなんだもんな。言ったら嵐のコンサートの演出って松本潤のライフワークじゃないですか。え、ヤダヤダ、考えたくない〜〜〜。(逃避)

 

2年後、潤くんの笑顔や生活の豊かさが減ってしまわないよう、切に願うばかりです。ほんともう最終的にはそれだけ。潤くんが笑っててくれればいい。彼はポジティブ(であろうとする)な人なのできっとその期間も有効に活用できるんでしょうけど。

潤くんが楽しく、前を向いて好きなように生きてくれればわたしはもうそれだけで生きていけます。

 

「好きになったこと後悔させません」と言い続けてくれる人に出会えて、好きになれてよかった。

これからもずっと、松本潤くんはわたしの人生の指標であり、拠り所であることは変わらないと思います。

こんなに素敵な人に出会えてよかった。こんな風になりたいと思える人に出会えてよかった。こんなにも好きという気持ちを教えてくれる人に出会えてよかった。

今は悲しくて寂しくてたまらないけれど、松本潤くんに出会えてよかった。それだけは確かです。

 

さいごに、こんなにまとまりのない文章を読んでくださってありがとうございました。